2005年 07月 28日
それは悪い について。
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今日は長いですよ。
ちょっと前にゲーム規制したり批判寄せられたり騒ぎがあったらしいですね。
ドジンさんの世界ではモニョモニョ感という言葉があるそうで
直訳すると背中がむずむずするような気持ちのこと、らしいのですが
これを「何か言いたいんだけど上手くいかない気持ち悪い感じ」として使ってるのを見ると
上手い言葉だなぁと思います。
(でも気軽に使うと叩かれるらしいので注意)
今日はそんなモニョモニョ感の話で、すでに何度も語りつくされていることの話。
何かにかけて、何かが悪いという人はその根拠を示さないと思う。
悪いという理由が、「理解できない」というだけで十分らしい。
自分でそれを理解する努力も放棄して、だ。
ぶっちゃけ言えば森教授の言ってることは変だと。
別に森教授だけじゃなくって、
先日だんご3兄弟の作者佐藤雅彦先生が流行当時の番組のビデオを持ち出してきて、番組中どこかの教授が
「繰り返す、ということが子供に安定感を与え・・・丸という形がさらに・・・」
とか言ってるのを
「何言ってるんでしょうね?この人w」
と一蹴していましたが、テレビに出る教授の信憑性ってのはかなり怪しい。
テレビの人に「これ言ってください」と言われ、「それは間違いだから言えない」と断ったら、後日別の教授がそれをテレビで言ってるのを見てびっくりした教授の人とかもいるらしく。
あとは携帯電話が悪いだの、インターネットが悪いだの、食品添加物が悪いだの(逆に無添加は体にいいとか)、電磁波が悪いとか、政治家が悪いとか、NHKが悪いとか
みーんなあれもこれも悪い。(この「悪い」の全部に否定ってわけじゃないですよ?)
話が教授のほうにそれちゃったけど、こういうのって訂正しにくいというか、信じちゃってる人は信じちゃってるんだから批判してもわかってくれないんだよね。
そして間違いだったとなっても、その責任を追求されない。
ゲーム脳理論なんて日本の経済にどれだけの打撃を与えているかわかんない。
でもそれを報道したマスコミも、森教授もその賠償の責任を取らされることは無い。
北朝鮮の拉致が無かったって言ってた某偉い人も責任を取ることはない。
そういう意味ではアメリカとかならすぐ裁判になって議論を交わすことになるのだけど(すぐ裁判ってのがいいかどうかは別として)日本だとそういう議論を交わす場を持つことも難しい。
それがどうにかならないものなのかなーと毎日「モニョモニョ」するわけですよ。
インターネットで誰か独自テレビ局とかやってくれたら面白いのにね。
施設も機材も安価でしょぼいけど、扱うのはマスコミがタブーにしている内容とか。
これ面白そうだけどやる人危険だなぁ。ぼくにはとてもできない。
それで、えーっと今回言いたいのは、その逆も考えるべきだよってことなんです。
なんだかんだ言って自分が信じているものの根拠を示せる場合なんてほとんど無いんですよ。
そしていちいち根拠を示している暇も無いんですよ。
ということは、自分も根拠って示せてないよね?っていうことをちゃんと自覚して、それでいてよく考えるべきなんです。
ゲームが悪いと言うのと、ゲームが悪いというのは嘘(もしくは根拠に乏しい)と言うのはまったく同じスタートラインに立っているっていうこと。
(こういうときに悪魔の証明の話を持ち出してくる人がいますけど、誤用も多いと思うんだけどなぁ)
日本国内の情報で韓国を批判するのと、韓国国内の情報で日本を批判するのも、そういう意味では同じってことなんです。
別にゲームやめろとか韓国正しいって言ってるんじゃないですよ?
自分がもし韓国国内に生まれてたら、向こうの今の人と同じことやってたと思うもの、絶対に。
人間そう変わらないんだから、生まれつきの性質がそんなに違うって事無いだろうし、っていうか韓国人が生まれつきどうのこうのと言う人はそれこそ根拠を示さない批判というか、批判どころか誹謗中傷のような気がするというか。
ゲームの話に戻すと、子供が1日のかなりの時間を費やすこともあるゲームが、子供に影響をまったく与えないなんてこと、あるわけがない。
それが良い影響なのか悪い影響なのか知らないけど、子供とゲームってのは本当にかなり密接な関係なんですよ。
だからそれがどういう影響を、こうだからどう与えるって、そういう議論なんじゃないのかな?
悪影響ありえる!ありえない!の応酬で進まない議論がいっぱい。
「信じちゃってる人は信じちゃってるんだから批判してもわかってくれない」と上で言ったけど、これを自分たちに当てはめる努力って大事だと思うのです。
妥協とか歩み寄りじゃなくて、議論って何が正しいか探るための手段で、勝負じゃないんだから自分がより正しいことを考えるのが正解なんだよね。
僕はゲームの規制を批判しているし、結構間違っている部分が多い規制だと思っている。
でもその批判のやり方が間違ってる人も多くて、正しい批判が埋もれちゃってるのもよく見る。
理論的じゃない批判をしている人は自分の「モニョモニョ」を相手にぶつけているだけの自分勝手な行動だと思うのです。
なんともしがたいから「モニョモニョ」するのはわかるけど、それはゆっくりと積み立てて理論的に落ち着いてなんとかするしかないんじゃないかと思います。
ちょっと前にゲーム規制したり批判寄せられたり騒ぎがあったらしいですね。
ドジンさんの世界ではモニョモニョ感という言葉があるそうで
直訳すると背中がむずむずするような気持ちのこと、らしいのですが
これを「何か言いたいんだけど上手くいかない気持ち悪い感じ」として使ってるのを見ると
上手い言葉だなぁと思います。
(でも気軽に使うと叩かれるらしいので注意)
今日はそんなモニョモニョ感の話で、すでに何度も語りつくされていることの話。
何かにかけて、何かが悪いという人はその根拠を示さないと思う。
悪いという理由が、「理解できない」というだけで十分らしい。
自分でそれを理解する努力も放棄して、だ。
ぶっちゃけ言えば森教授の言ってることは変だと。
別に森教授だけじゃなくって、
先日だんご3兄弟の作者佐藤雅彦先生が流行当時の番組のビデオを持ち出してきて、番組中どこかの教授が
「繰り返す、ということが子供に安定感を与え・・・丸という形がさらに・・・」
とか言ってるのを
「何言ってるんでしょうね?この人w」
と一蹴していましたが、テレビに出る教授の信憑性ってのはかなり怪しい。
テレビの人に「これ言ってください」と言われ、「それは間違いだから言えない」と断ったら、後日別の教授がそれをテレビで言ってるのを見てびっくりした教授の人とかもいるらしく。
あとは携帯電話が悪いだの、インターネットが悪いだの、食品添加物が悪いだの(逆に無添加は体にいいとか)、電磁波が悪いとか、政治家が悪いとか、NHKが悪いとか
みーんなあれもこれも悪い。(この「悪い」の全部に否定ってわけじゃないですよ?)
話が教授のほうにそれちゃったけど、こういうのって訂正しにくいというか、信じちゃってる人は信じちゃってるんだから批判してもわかってくれないんだよね。
そして間違いだったとなっても、その責任を追求されない。
ゲーム脳理論なんて日本の経済にどれだけの打撃を与えているかわかんない。
でもそれを報道したマスコミも、森教授もその賠償の責任を取らされることは無い。
北朝鮮の拉致が無かったって言ってた某偉い人も責任を取ることはない。
そういう意味ではアメリカとかならすぐ裁判になって議論を交わすことになるのだけど(すぐ裁判ってのがいいかどうかは別として)日本だとそういう議論を交わす場を持つことも難しい。
それがどうにかならないものなのかなーと毎日「モニョモニョ」するわけですよ。
インターネットで誰か独自テレビ局とかやってくれたら面白いのにね。
施設も機材も安価でしょぼいけど、扱うのはマスコミがタブーにしている内容とか。
これ面白そうだけどやる人危険だなぁ。ぼくにはとてもできない。
それで、えーっと今回言いたいのは、その逆も考えるべきだよってことなんです。
なんだかんだ言って自分が信じているものの根拠を示せる場合なんてほとんど無いんですよ。
そしていちいち根拠を示している暇も無いんですよ。
ということは、自分も根拠って示せてないよね?っていうことをちゃんと自覚して、それでいてよく考えるべきなんです。
ゲームが悪いと言うのと、ゲームが悪いというのは嘘(もしくは根拠に乏しい)と言うのはまったく同じスタートラインに立っているっていうこと。
(こういうときに悪魔の証明の話を持ち出してくる人がいますけど、誤用も多いと思うんだけどなぁ)
日本国内の情報で韓国を批判するのと、韓国国内の情報で日本を批判するのも、そういう意味では同じってことなんです。
別にゲームやめろとか韓国正しいって言ってるんじゃないですよ?
自分がもし韓国国内に生まれてたら、向こうの今の人と同じことやってたと思うもの、絶対に。
人間そう変わらないんだから、生まれつきの性質がそんなに違うって事無いだろうし、っていうか韓国人が生まれつきどうのこうのと言う人はそれこそ根拠を示さない批判というか、批判どころか誹謗中傷のような気がするというか。
ゲームの話に戻すと、子供が1日のかなりの時間を費やすこともあるゲームが、子供に影響をまったく与えないなんてこと、あるわけがない。
それが良い影響なのか悪い影響なのか知らないけど、子供とゲームってのは本当にかなり密接な関係なんですよ。
だからそれがどういう影響を、こうだからどう与えるって、そういう議論なんじゃないのかな?
悪影響ありえる!ありえない!の応酬で進まない議論がいっぱい。
「信じちゃってる人は信じちゃってるんだから批判してもわかってくれない」と上で言ったけど、これを自分たちに当てはめる努力って大事だと思うのです。
妥協とか歩み寄りじゃなくて、議論って何が正しいか探るための手段で、勝負じゃないんだから自分がより正しいことを考えるのが正解なんだよね。
僕はゲームの規制を批判しているし、結構間違っている部分が多い規制だと思っている。
でもその批判のやり方が間違ってる人も多くて、正しい批判が埋もれちゃってるのもよく見る。
理論的じゃない批判をしている人は自分の「モニョモニョ」を相手にぶつけているだけの自分勝手な行動だと思うのです。
なんともしがたいから「モニョモニョ」するのはわかるけど、それはゆっくりと積み立てて理論的に落ち着いてなんとかするしかないんじゃないかと思います。
by tail_y
| 2005-07-28 21:56
| 日記